そんなに贅沢だったの?

家に古い家具があるのだけども、「見た目に古いし新しくオシャレなのを買おうかしら」なんていう人も多いはず。

そんな家具ってどんな家具かと言うと、「桐たんす」「一枚板のテーブル」「茶箪笥」「和箪笥」などですよね。

「なんか昭和っぽいし、古くさくて今時じゃないし」なんて声も聞こえてきそうです。

若い人に言わせれば「ダサい」などという言葉になってしまうのでしょうか。

そんな今時って何?について私の感想を述べてたいと思います。

今時って

よく耳にする今時について考えてみよう。

たぶん、時代の主流ではないもののことを指しているのだと思います。

多くの人が良いとして使っているもののことを主流ということになるのだと思いますが、じゃあ今時の家具ってどんなんだろう?

  • ホームセンターで売ってる本棚?
  • CMをいっぱい流してるお店の家具?
  • ネットで探した安くて見栄えのいい家具?

どんな分野でもそうですが、どうやって主流って作り出されるのでしょうか?

それはもちろん多くの人の賛同を得られた時に主流となるのは誰が考えてもわかりますよね。

多くの人が毎日生きている中で目にしたもの経験したもの中から、色、デザイン、使い勝手、などそんな中で「こんな感じの色って可愛いよねぇ」とか「このデザイン超クール」とか「これってめちゃくちゃ使いやすい」など多くの人が同じようなことを感じた場合に主流になっていくのじゃないかと私は思います。

自然と主流になる場合もありますが、この主流って言うのはある程度つくり出すことが出来ると思っています。

まず、巨大な資本があれば多くの人の賛同が得らえるように誘導することが出来ます。

また、影響力のある人が発言することで多くの人の賛同が得られるように誘導することが出来ます。

巨大な資本がある場合

繰り返しCMや広告をうつことで、多くの賛同を得られる可能性があります。

主流って言うのは生活の中で普段目にしたものや経験から生まれるのだとすれば、テレビCMで繰り返し流せば目にする機会が増えます。

その中で、最初は少数かもしれませんが徐々に「CMでやってる〇〇ってすごくいいよね」って具合に広がっていきます。

そうやって徐々に多くの人の支持を得ていって主流となっていくわけです。

影響力のある人の発言

最近はインフルエンサーなんて言い方もするみたいですが。(影響力のある人)

これは芸能人に例えるとわかりやすいと思います。

好きな芸能人の方が「この商品ってすごくいいよ!」って言えば、ファンの人たちに響きますよね。

だから今が旬のタレントさんをCMに起用すれば、多くの反響が得られるので効率がいいですよね。

多かれ少なかれ影響を受けている

こんな話をしていると、「いやいや私は自分の考えにしたがって、すべて自分で決めてますよ」って言う人もいるかと思いまが、本当にそうでしょうか?

そもそもテレビってものがなければ、芸能人と呼ばれる方達を知りえる機会はグッと減るし私が今好きな芸能人を知ることすらできなかったかもしれない。

ミュージシャンとかシンガーソングライターなどの人達の作詞作曲でさえ誰かの影響を受けているはずです。ミュージシャンだってプロになる前は憧れていたミュージシャンがいたはずで、好きだからこそ自分の音楽にも影響されているのではないかと思います。

この世の中で、それらの影響を受けずに生活するには、山で一人で生きて行くか無人島で生きて行くしかないのではないでしょうか?

私たち人間は記憶を頼りに生きている動物ですから、見たり聞いたりしてしまったものをなかったことには出来ないはずです。

今時の家具の作り方

今時の定義からすると、多くの人が使っている家具ということになると思いますが、多くの人が使っているということは大量生産ってことになると思います。

その大量生産の家具がどうやって作られているのか考えてみましょう。

そういった家具の大半はもう日本では作られていないんですよね、残念なことですが。

多くの人に賛同を得るのにわかりやすいのが価格です。

似たようなものなら安いほうがいいに決まってますからね。

それを実現させるためには日本人に作らせるわけにはいかなくなってしまったのです。

コスト(人件費)の問題ですね。

ひと昔前、日本の工場は中国に構えるようになりました。

それは、日本人の人件費の大雑把に言うと10分の1ぐらいで、日本人なら一日1万円かかるところ向こうなら千円で働いてもらえたのです。

大量に作らせてまとめてコンテナで日本にもってくることで低価格を実現できたわけです。

しかし、その後急成長した中国の人件費が高騰してしまい、いまでは拠点をベトナムなどに移す企業も多くなったと感じます。

それもいずれその国が発展してきてノウハウも覚えてくると人件費は上がってきたら場所を移すのかは、これからのことなので私にはわかりません。

こういった仕組みで商売を出来ない零細企業は厳しいものです。

海外で作る家具の材料の多くは合板家具だったりします。

なぜ合板なのか?

誤解を招かないように言っておきますが、合板が私は悪いとはまったく思っていません。

なぜなら、合板とは長い木材の歴史において人の知恵と技術の結晶だともいえるからです。

また、強度を出す木工の接合方法などは多少は使われています。(溝に板を入れたり、溝を作って板を入れたり)もちろんそういった作業も機械で行います。

すごく昔は無垢しかありませんでしたから、すべて無垢で作っていたと思います。

しかし、無垢には無垢の欠点があるんです。

確かに無垢で作った家具は高級です。

しかし、とても扱いにくい欠点があります。

どんなことかと言いますと、「木目」「割れ」「反り」「曲がり」「節」「価格」などです。

「ん?木目はいいじゃない?」と思われるかもしれませんが、多くの人の賛同を得たいと考えた時にとても邪魔になるんです。

木目は指紋と同じで同じものが一つとしてありません。

最近では家具もネットで買うって人も増えたと思いますが、商品写真を撮って掲載しても「実際届いたら木目が違うじゃん!」というクレームになることもあるんです。

販売してるほうからすると、どうにもならないクレームの対処にせまられてしまうのです。

板の割れも販売者の頭を悩ませます。

売り場に家具(テーブルなど)並べて置いたら「あれ、すこしヒビが入ってる!」ということだってあります。その場合売り物にならないし修理に出したら効率が悪いので、こういったことも扱いにくいとされる原因です。

「反り」や「曲がり」は、そうならない技法で作りますが、100%「反りません」「曲がりません」と言えないのが現状です。これについては購入する側ではなく作る側の人も頭を悩ませます。なぜなら、材料の段階で反ったり曲がったりしている場合があるので材料の無駄が出たり、この材料で何個作れるといった計算が立ちにくいのです。

「節」については、アメリカなどの人はお国柄なんでしょうか?あまり気にされないそうです。それも味として楽しむ人が多いそうです。その点、日本人は貴重面なお国柄なのかもしれませんが、節を良しとする風潮がありませんので、節の部分は使用することが出来ません。

「無垢」一本の木から切り出したものなので大きな板になればなるほど値段は高いです。値段も一定ではなく変動します。大量生産でもっとも嫌う材料費が高すぎるんですよね。

そういった問題をクリアして出来た無垢の家具はとても贅沢と言っても過言ではありません。

こういった現実と向き合って、知恵を絞って技術を磨いて導き出したものが「合板」です。

合板の特徴として

  • 割れにくい
  • 反りにくい
  • 曲がりにくい
  • 節を気にしない(上に化粧シートなどを貼る場合)
  • 木目を気にしない(上にメラミン化粧板などを貼る場合)
  • 材料の無駄が少ない
  • 無垢板より安価
  • 見た目が同じ物を複製しやすい

こういった特徴みれば、なぜ大量生産の材料として採用しているのかがわかりますよね。

もちろんこういった家具を私も使っていますし、とにかく安いというのは経済的に助かりますので多くの人の賛同を得やすいんですね。

今時じゃない古い家具はダサいのか?

じゃあ多くの人が使ってない昔の家具はダサいのか?を考えてみましょう。

古い家具も昔は今時だったはずです。

その時代の主流だったんです。

主流からはずれたら「古臭い?」「ダサい?」となるのでしょうか?

まず、今現在この記事を書いているのが2017年ですが、ユニクロなどが大変業績を伸ばしていることからみてもわかるように安さに敏感な時代です。

扱いやすく安価な材料で人件費を抑えて効率よく作られた家具が今時と仮定するならば、古い家具はどんな材料でどんな風に作られているのか?

  • 現在では入手困難な木材が使われていたりします。また入手できたとしても現在では価格が高騰してしまっている場合もあります。
  • 昔は木材の値段もそれほど高くなかったから多くの家具が無垢で作られていた。
  • 合板というものがまだ主流になっておらず、比較的高い価格を維持できていた。
  • インターネットもなく過度な価格競争にさらされていなかった。
  • 家具業界で海外で工場をもつ大手の参入がそれほどなかった。(海外製の家具の輸入はあった)
  • ほぼ日本人が作ったmade in japanだった。

特に昭和の後期になるとバブルと呼ばれる時期がおとずれ、値段が高いものが良く売れていました。その結果、いい材料も使えるし、良いサービスも行えるようになる。時間と手間をかけてもそれを値段にちゃんと乗っけることが出来た時代です。

とくに明治~昭和初期に作られたような家具は、同業他社との差別化に木工技術を磨いていて、「うちの箪笥にはこんな技術をつかって作っている」など安さ以外を売りにする業者がたくさんいましたので、おのずと技術があがり「あそこの箪笥屋は腕がいい!」などと口コミで広がることで信頼を勝ち取ることが出来ました。

明治、昭和に限らず、みなさん観光されたことがあると思いますが、「お城」や「お寺」など江戸よりも前に作られたものがものすごい木工技術を駆使されて作られているのは知ってますよね。

古い家具には現在では出来る人も少ない木工技術で作られたものも多いんですよね。

例えば「組手」や「あり組」や「あられ組」や「ホゾ」や「雇い実継ぎ」など数えあげたらきりがないくらいの木工技術があります。

特に一枚板の分厚いテーブルなどは大きさ形にもよりますが、今この時代に同じものを作ってと依頼しても受けてくれる業者は少ないでしょう。受けてくれたとしても「え?そんなにするの?」とビックリしてしまうかもしれません。

とくに最近では木材の値段が高騰しています。

昔は安価な木材が今では高級とされる木材になっていたりします。

  • 古い家具は高価な木材を使われていることが多い。
  • 今では使われていない高度な技術が使われて製作されていることが多い。

デザインはその時代時代に流行るものがありますが、

  • 今時と比べて高価な木材
  • 今時と比べて高度な技術

これを見ると、要するに「古臭い」というのはデザインだけのことを言っているのがわかります。

金物の進化で引き出しレールや扉に付けるスライド丁番など便利なものも出来ましたが壊れるとレールの交換などのコストがかかります。

このデザインと言うのは、よく目にするものの中から人は決めていく傾向がありますし、まわりにいる人の半数以上が言っている人の意見が正しいと思い込む性質があるんじゃないかな?とも思います。

「みんなが言っているから」ってことなんですよね。

古い家具は古い家具なんですよね。ただそれだけ。

だけど、だれかが「古臭い」とか「ダサい」と言った時から、「あ、そうなんだ」となってしまうのかもしれません。

自分の身の回りで、自分から見て「かわいそう」と思う人がいたとして、でもそう思われた人は自分のことを可哀そうな人だなんてこれっぽっちも思ってなくて、言われて初めて「あ、わたしって可哀そうな人なんだ」となり「かわいそうな人が」出来上がるのと同じなのかもしれません。

巨大の資本がある人や企業が、昭和のデザインの家具を全面に打ち出して時間をかけて繰り返し宣伝しまくれば、徐々にそれが主流になるかもしれません。この時代の主流を強引に変えていくので半端じゃない額だとは思いますが。

まぁデザインの良し悪しなんて結局の所そんなものなのかもしれません。

もちろん、適当に考えられたデザインであれば意味もないのですが、古臭い家具も昔は練りに練られたデザインで時代の主流だったわけですから。

人はなくしてみて初めてその価値に気づく

今時の量販家具って、次の世代でも使ってもらえるのでしょうか?

もちろん、今流行りのデザインで部屋をコーディネイトして楽しむことは良いことだと思います。

値段も安ければ直いいですよね!

ですが、そういった家具は表面にシールのようなものを貼ってあるだけなので年月が経てば剥がれてきます。

それを直してまで次の世代の人は使おうと思うのでしょうか?

多くの人は買い替えると思います。

今はネットで簡単で便利で安いものが簡単に見つかる時代ですが、裏を返すとそうやって見つけたものは記憶に残りずらいのかもしれませんね。

レコードの時代、次の新曲を待ちわび、お小遣いをためやっと買い、一日中ジャケット写真と歌詞カードを眺めていた頃が懐かしい。今じゃネットで聞きたい曲だけ数百円でダウンロードできます。便利ですが有難みが薄くなっているような気もします。

昔、結婚を控えた若い夫婦が百貨店などに休みの日に出かけ、家具を見てまわり、ああでもないこうでもないと言いながらちょっと背伸びをして高価な家具を購入した人も多いはず、だからその家具を見ると昔の記憶が甦ってきたりします。「この家具買う時、ケンカしながら買ったっけなぁ」とかね。

そういった家具は、しだいに部屋の一部となり、家の一部となり、人生の一部になっていきます。

その家具を購入した夫婦のお子さんも、そんな家で育つのですから、「ああ、この家具お父さんが気に入ってたなぁ」とか「この箪笥、お母さん大事にしてたなぁ」と大人になっても思い出します。そして親を思い出す時一緒にくっついてくるのが背景です。家だったり部屋だったり家具だったりするんです。

うれしいことに、背伸びをして買った無垢の家具は直すことが可能なんですよね。

それを「今時じゃないから」とか「古臭いし」とか言って捨ててしまうのは簡単ですが、それは長年付き合ってきた人生の一部も捨ててしまうことなのかもしれません。

捨ててしまった後、一時的にすっきりしたような気がするかもしれませんが、後でなんか心にポッカリ穴が開いたような気持ちになってしまうかもしれません。

捨ててしまった後に、似たような家具を買っても似ているだけで「人生の一部だったあの家具とは違います」、そもそも、その当時の家具を作ってもらおうとするとビックリな値段に驚いてあきらめる人も多いはずです。

普段、隣りにいる大事な人は毎日いてその尊さを忘れがちです。恋人、友達、妻、夫、などいなくなって初めてその存在の偉大さに気づくものなんですよね。

もちろん訳あって処分する他しかたない場合だってたくさんありますが、せめて「今時じゃないから」「古臭いから」などと言う理由で処分してしまうと後悔してしまうかもしれません。

終わりに

私なんかが書いたつたない文章を最後までお読みくださりありがとうございます。

極端な解釈もあるかと思いますが、個人の感想としてご容赦ください。

割と、昔の話が出てきますが懐かしんでくれたら幸いです。

機械を使い複雑な工法で見事な椅子やテーブルや家具を作られる職人もいます。(価格は高いです)

私は古い家具が主流と呼ばれていた世代の人間ではありませんが、古い家具の修理を仕事としてきて、昔の家具の作り、構造にはビックリさせられることばかりです。

「なんて昔の人は頭がいいんだ!」「この構造はどうやって作ってるんだ」など、27年もこの仕事をしていても、まだまだ勉強させられることばかりで奥深いです。

古い家具の良さを少しでも理解して頂けたなら幸いです。

 

 

桐たんすの修理やリメイク、古い家具の塗り直し